「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考 著者 末永 幸歩

この本は、中田敦彦さんのYoutube大学で紹介されていた書籍です。このYoutube動画がたまらなく楽しいと感じ、中田さんが進めるがままに購入にいたりました。
この本では日本における美術教科の立ち位置、美術の簡単な歴史、カメラ登場以降の20世紀における6人の藝術家たちのアート界での衝撃を描いた内容です。
このページでは、この書籍の導入部を少し紹介したいと思います。
日本における「美術教科」の立ち位置について。
一言で言うと「日本では、美術教科は不人気である」です。「美術館で絵を見ても何がすごいのかわけが分からない」とか、「中学あたりの美術の授業で、自分の絵の下手さ加減に気づき挫折する」とか、そもそも、「美術系の高校や大学」以外の「一般的な高校や大学」の受験科目に美術が無いため、「美術は受験に役に立たない」と思われがちで、美術教科から離れてしまうというからくりだそうです。
著者の主張
「アート思考は技術や知識だけではない、興味と探求の思考」であるということで、強く主張しています。
美術の歴史
人類が誕生してからルネサンス(15世紀)あたりまでは宗教を布教するために絵が描かれていたそうです。文字を読めない人もいるので、「神が人類を作ったのだ」とか「神があなたを救うのだ」みたいなことを絵で語るというのが主な目的だったそうです。しかし、そこに現れたのがレオナルドダヴィンチです。当時の人にとってモナリザに代表されるダヴィンチの絵画は「超写実的」に映ったそうです。「まるで、その人が、そこにいるようだ」と大絶賛されたらしいのです。その反面、今の我々の目に映るモナリザは、正直なところ「本当に写真みたいか?本当にリアルなのだろうか」という疑問も湧いてきます。なぜなら我々は生まれた時から、カメラがあり写真があったから、そう感じる。しかし、15世紀はカメラがありませんのでダヴィンチの描く絵画は大変重宝されたという歴史があります。そして15世紀~19世紀は貴族が台頭していた時代、この約500年の間、絵画は「ひたすら写実的に描くこと」が最適解だったようです。
カメラの登場
ところが19世紀初期にカメラが登場します。ひたすら「ひたすら写実的に描くこと」を最適解としていた芸術家たちは愕然としたことでしょう。当時のある芸術家のひとりは「カメラができた。今日を境に絵画は死んだ」という言葉を残したそうです。これまで、肖像画1枚に2か月を費やしていたのに、カメラはパシャリと撮影し、現像し、おおよそ1日~2日で写真が完成していたので、人々の心がカメラの方へ流れるのは自然の摂理だと思います。現在の、「スマホでパシャリ、写真データは”秒”で完成」というのも、テクノロジーの進化の末の2020年代における最適解かもしれません。
15世紀~19世紀までは「ひたすら写実的に描くこと」が正解であった絵画が、カメラの出現により、絵画の正解に変化が訪れます。写実的に描くことが正解で無くなった今、「アートで何かできことはないか」という芸術家が登場したのです。そこで発見されたのが固定観念からの解放です。写実的な表現からの解放というわけです。
20世紀到来。そして6人のアーティスト
というわけで、20世紀における100年間は「アートで何かできことはないか」とう戦いの歴史が幕を開けます。少し話を戻しますが、その戦いの歴史を実は美術教科で教えてもらうことはできないがために、美術教科が不人気であるとも言われています。
随分と長文になりましたが、ここからは20世紀を代表する6人のアーティストの6作品を通して、「ただ美しく写実的なのが藝術ではない」という考えのもと、どのような作品が生まれてきたのが大変興味深く記述されています。
書籍で紹介されている6人のアーティストはこのような感じです。
マティス「目に映るそのままの姿や色を描くことを否定した男」
ピカソ「遠近法を否定し、展開図を圧縮し、アートに迫る男」
カンディンスキー「人類史上初、音楽を絵にした男、そして抽象画を産み出した男」
デュシャン「美くしくないアートもあると主張する男」
ポロック「何かを描く、いや何も描かない。紙に絵の具を塗ったと言わせた男」
ウォーホール「大量生産された製品をアートに仲間入りさせた男」
終わりに
詳しい内容は書籍または、YOUTUBE大學に触れてみてください。
皆さんのアートへの触れ方に変化が訪れると思います。
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